あの占い師さん、私が癌になること見えていたのかな?

 

占いのイラスト

通りすがりの小さな占い部屋で

 2019年の12月のことでした。入院中の弟を訪問した帰り道の出来事です。
思いのほか、用事が早く片付いたので、どこか占いをやっているところはないかと探しながら、繁華街を駅に向かって歩いていました。

 その頃の私は、仕事につまらなさを感じていて、社内で職種転換の試験を受けるか、ダメもとで転職活動をするか悩んでいました。
心の中では、退職して、他の仕事の面接を受ける気持ちで固まっていました。そのうえで、何か後押しが欲しくて、占いを思いつきました。

この日、運良く占い師に出会えたら、その人から答えをもらおう。そう思いながら、あてどなく歩いていました。

 いつもは通らない路地の雑居ビルの前に占いの看板が出ていました。何となく惹かれるものがあり、ビルの前に立って中を覗いてみました。
それは、ビルの1階の片隅、階段下を利用した小さな部屋でした。ちょうど、占いを終えた人が立ち上がって、帰り支度をしているところでした。奥に、70代後半と思しき女性の占い師が見えました。

 うん、ここにしよう。
と、私は、出る客と入れ違いに中へ入りました。
この占い師は、四柱推命と手相・顔相、名前の画数から運命を占術する人でした。
私は、生年月日、生まれた場所など聞かれるままに答えました。

 占い師さんと話が弾んで、途中色々な話で脱線したりも…
この方、聞くところによると、現役時代は銀座の高級クラブをやっていたらしい。
地位も財力も人脈もお持ちの方ほど、占いや縁起を気にするそうな。たくさんのお客さんを見た(占った)と言っていました。
景気が悪くなって、店を畳んだあと、占いが本業になったらしい。今では生徒さんもいて、教える仕事もしていると言っていました。

占いの結果はいかに⁈

 さて、占いの結果です。
私の思いに反して「仕事は変わるな」と言われました。
私が理由を尋ねると、「あんたの行きたいところ(転職したい業種)は、そのうち無くなる仕事だよ。そこへわざわざ行くことないだろ」とバッサリ言うのです。
占いというより、社会情勢をにらんだアドバイスのようでした。

そして、社内の職種転換のほうも良い顔をせず、こういいました。
「今の職場の人間関係、良いだろ? わがまま言いやすいじゃないか。それを捨てることはないよ」と、またもバッサリ。

 転職も社内異動も、見込みなしってことなのか…
予想外の結果にガックリきました。

占い師は、さらに続けます。
 「それに来年は『病』って字が出てくるんだよ」
 「それって、私ですか? それとも周りの誰か?」
 「今は動かない方がいい。
   まぁ、とにかく『病』だから。
   いつもは、お客さんにここまで言わないんだけどね。特別だよ」

と、何だかわかったような、わからないような…
これでは、消化不良です。

 「辞めて転職する気、満々でいたから、ちょっとガッカリです。
いろいろ行き詰まってて、心機一転したい気持ちなんですよ」

と、未練がましく、占い師に話しました。
そうしたら、ちょっとあきれたという顔で、

「何で、そんないい歳して、頑張るんだい?
60歳がなぜ還暦というのか、わかるかい?
人は、60歳まで、ひと通り生きてゴールなんだよ。
そのあとは、オマケの人生だ。
あんた、あと何年もないだろ
だから、あれこれ欲張らない」。

もはや、これまでの感じがして、何となくモヤ~っとしたまま、占いの部屋を出ました。

その後の私の運命は?

 その後の私は、占い師の言葉をきかず、あれこれジタバタしたのです。
年末から年始にかけて、諦めきれない転職活動を始めてしまいました。
ところが、1月末頃から、コロナという新しい脅威がやってきました。同じ頃、私の転職の話は、立ち消えていきました。

私は、占い師の言っていた「病」とは、このコロナのことかと合点がゆきました。

夏頃、上司に職種転換の希望を告げました。同じ頃、胸に小さなシコリを発見しました。

 秋になって、どんどんシコリが育ってきて、いよいよ病院へ。そして、乳癌の告知を受けました。
通院で休みをたくさん取り、あげく逃げるように退職を決めた私に、職場の誰もが私の勝手を快く受け入れてくれました。

「病」とは、私の病気だったのか。
仕事を変えるなと言ったのは、こういう未来があるからだったのか。
と、その時、占い師の声が聞こえてくるような不思議な感覚に襲われていました。

占い信じますか?

 皆さんは、占いを信じていらっしゃいますか?

たとえば、血液型占い。心理学や生理学分野の研究からは、現時点では一種の錯覚だと結論付けられているようです。
血液型占いの結果に、当てはまることだけを「的中した」と記憶に残し、その経験が繰り返され(確証フィードバックループ)、強化され、信じるようになるという錯覚です。

一方、はるか紀元前の昔々、学問がまだ今のように体系化される以前、諸学の根源「哲学」から、早々に分岐・発展した学問の中に「天文学」や「占星術」がありました。
また、四柱推命も長い年月をかけて、中国から学問として発展してきました。
これらが現在も残っていることを考えると、私は、信ずるに値しないものとして片づけてしまう気持ちにはなれません。
むしろ、私は、信じていて、おりおりに人生の指針をもらっています。

 あの占い師さん、もし本当に見えていたのなら、もっとズバッと言ってくれて良かったのに…
犯罪系とか、死に関わること、そういうことは、言えないんだよって言ってたっけ…
あのCMの決めセリフじゃないけれど、
「早く言ってよ~ん」全くそんな気持ちです。

また、あの不思議な階段下の占いの部屋へ行ってみようかしら。
あの人に会えたら、今の私を伝えて、この先のことも聞いてみたい気がします。
それより、あの占いの部屋を再び見つけることが、私にはできるのでしょうか?
そんなふうに思います。

私はオマケの人生を生きているのか?

 商品についてくるオマケって、開けるとき、期待でワクワクしますよね。
開けてがっかりハズレもあるけれど、予期せぬ大アタリに出会っちゃうこともあります。

人生のオマケも本編よりワクワクするといいなぁと思います。
ハズレと思うも、アタリと思うも自分次第なところがありますから、私は、この先の、オマケ人生を愉しみたいと思います。

長話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

2021.9.11

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