ハイケア室を出てから退院まで ー持病は乳癌①ー

 

入院生活

医療的なこと

 朝・昼・夕、1日3回は看護師さんの体調チェックがありました。
検温・血圧測定・傷のチェック・ドレーン周りと排液のチェック、あと、ちょっとお喋り。私の入院した病院の看護師さんは、若い方が割りと多かったです。
皆さん、明るくてしっかり者で注射も上手で、安心して頼らせてもらいました。

体の中に管が入っているのは、想像していた時は気持ちが悪くてクラクラしましたが、実際に付いてみると、刺さってる感覚はなく大丈夫でした。
入院中、時々ひっかけたりして、キャーッとなる時もありました。
日々、退屈なので、液の溜まり具合を楽しく観察していました。

 看護師さんは、回診時、お道具ワゴンを押しながら来るので、気配がわかって身支度して待つことができたのですが、不定期で1日1回くらいやって来る主治医は、突然「どうですかー?スズメさん」とカーテン、シャーッと開けて来るものだから参りました。
回診の時は、ベッド周りをきれいにして、ベッドの上で正座して待つのが、自分の理想の患者像なのです。
だのに、だいたい間に合わず、ありのままの寛ぎまくった姿で主治医をお迎えしてしまいました。
ある時は『愛の不時着』第6話を夢中になって寝っ転がって見ていて気づかず、慌てて起き上がってスマホのコードとイヤホンとドレーンがわけわからないことになって、アワアワしたこともありました。

主治医は、傷と排液の状態を診ていました。
傷口には、透明のテープがきつく貼られていて剝がしたりする時に、傷口が開くんじゃないかとドキドキしました。
でも、傷口が開くことはなく、テープを剥がす時の痛みもなかったです。
テープは退院後、1週間は自分で貼り換えをしつつ、その後はテープ不要になり、病院で処方されたクリームを塗ることになりました。

大部屋ってどうなの?

 大部屋の良いところは、差額ベッド代がかからないことと、あとは一人じゃない安心感でしょうか。
人によって大部屋は、向き不向きがあると思いますし、どんな人たちと同室になるかで運命が分かれますね。
私は、コロナ禍でお見舞いに来る人もいないし、今後の治療にお金がいくらかかるか、わからないから節約しようと大部屋一択でした。
結果は、ステキなマダムたちとご一緒できて恵まれていたし、ベッドも窓側で良かったです。

大部屋には、どんな人が向いているかな?と私なりに考えたことは、やっぱり何と言っても一番は、どこでも寝られる人、それと、あまり人のことを気にしない人、お互いさまの気持ちを持てる人でしょうか。
あと、怖がりさんは、大部屋のほうが良いかもしれません。
私はどこでも寝られる質で、入院中は消灯前に寝落ちして、自分のイビキも他の人のイビキもあったのか?なかったのか?もわからず、朝までぐっすりでした。

大部屋の特徴のひとつは、個人情報がダダ洩れしちゃうところですね。
どこが悪くて入院しているのかとか、病状の深刻さとかも、医療者との会話や気配で、何となくわかってしまうものです。
私が乳癌で手術をすることも伝わってしまったようで、カーテン越しに「お若いのに…」と声が聞こえてきました。
この時、57歳のスズメは、この大部屋の中ではダントツの若さでした。

精神に障害がある私の弟が、入院中に足を骨折し、私と同じ日・時間に手術が決まったこと、それで私の手術の時に待機する家族がいないかもしれないことを看護師さんと話をしていたら、あるマダムに鼻で笑われてしまいました。
何だろう?と思って気にかけていたら、この方は、あちこちの体の不調を訴えていらっしゃいました。
どうやら、この方は、80-50問題を抱えていらっしゃる様子でした。
「私が元気にならないとダメなの」「具合が悪いと家のことができないから、治したくて入院しているのに」と悲痛な訴えをされていました。
この方に必要なのは、病院じゃなくて、今の生活を打破してくれる支援の手と、レスパイトできる場所ではないかと、自分の親をみるようで胸が苦しくなりました。
私の両親は既に亡くなっており、親亡き後を引き継いだ私は、立場は違えど、逃れられない責任と辛くて切ない思いがあり、心中複雑でした。
この方は、いつの間にか退院されていました。

 6人部屋に私を含め3人になった頃、食事の時間に、1人の方が「ご飯出てくるの良いわねぇ」とおっしゃって、もう1人の方と私が「ほんとですね」「支度しなくって良いのは幸せ」とカーテン越しに会話をするようになりました。
もう1人の方のところには、看護師さんたちが入れ替わり立ち替わり挨拶に来ていて、主治医も親しげで、きっとOGに違いないと思っていたら大当たりでした。
この方は、主治医のことを、この病院に来た頃から知っていて「マンマ一筋の良い先生よ。私も診てもらいたいけど専門がちがうからね」と話してくれました。
外科の病棟で同じ乳癌の方と出会えなかったのは残念でしたが、秋の陽だまりのような、穏やかで暖かな病室で6日間を過ごせて幸せでした。

退院 2020.12.15

〇この日の流れ
ドレーンが抜ける ➡ 退院の許可が下りる ➡ 荷造り ➡ 会計待ち、支払い ➡ 病室チェック ➡ 次回診察の予約の用紙を受け取る ➡ 退院
〇お会計
¥90,792(限度額適用認定証提示済)


 ドレーンが抜けてもすぐ帰るのは怖いのでもう一泊させてください、と入院前に再三、主治医にお願いしていたにも関わらず、ドレーンが抜けるとわかった15日、娘が夜まで家にいられることがわかり、前言撤回して、抜けたらすぐ退院したいと看護師さんにお願いしました。
ほんと、自分勝手ですみません…
というわけで、主治医は手があいた時にスズメのドレーンを抜きに行くか、と思っていたかもしれませんが、せかされてしまったかもしれません。

病院での最後の食事、昼食はトンカツでした。
食べながら、早く来てほしいなとジリジリしながら主治医を待っていました。
余談になりますが、こちらの病院の食事はとても美味しくて、日々料理をしなくても、ご飯を食べられる幸せを満喫しました。
何と言っても、白米の量…中年になって息をするだけでも太るスズメは、ずっと白米をちょっとしか食べていませんでした。
ところが、入院したら、1食あたり白米を180グラムも食べてよくて、白米好きの私は大満足でした。
その上、早寝、早起き、間食なしの生活で体重は1キログラム減り、体調も良かったです。
今後の生活への良い気づきを得ることができました。

 話は戻りまして、主治医は、午後の早い時間に来てくださいました。
体に刺さった管を抜くって…それも麻酔もなくてとゾワゾワしていたのですが、Twitterでそれをつぶやいたら「痛くないですよ」「何も感じなかった」「あっという間」等々、お返事をいただいてリラックスして臨めました。
実際のところ、どうだったかというと…。
ドレーンを皮膚にとめていた糸をパチンパチンと切る音がして、チュル、チュルっと2本、あっという間に抜けました。
ずっと、どこへ行くにもポシェットと管付きでしたので、なくなってスッキリしました。

いよいよ、退院だー!

 会計処理が終わるまで、荷物をトランクに詰めたり、病院からのアンケートに記入して待ちました。
支払いは1階の入退院受付でするので、病衣から私服に着替えました。
かぶりのセーターは、まず術側の腕を袖に通してから、頭にかぶって、最後に健側の腕を通せば痛むことなく着ることができました。
サポートタイプのタイツのほうが、むしろ、十分に腕を伸ばせないのと、引き上げる動作がいつものようにできなくて、ちょっと大変でした。

会計ができあがって、1階へ降りて支払いを済ませました。
参考までに、入院日数6日間、差額ベッド代なし、食事13食、全身麻酔下乳房全摘手術、限度額適用認定証ありで、¥90,792でした。
クレジットカードで支払いました。
支払い済みの用紙を受け取って、病棟へ戻り、看護師さんに渡しました。
そして、ベッド周りに忘れ物がないかを確認してもらいました。
同室の方々に挨拶をして、看護師さんたちに見送られながらエレベーターに乗りました。
いよいよ入院生活、終了です。

 6日ぶりの外は、見慣れた景色なのに、何かいつもと違う感じがしました。
これから乳癌という持病を抱えた私の新しい暮らしが始まるのだと感じました。
ゆっくり歩きながら、途中、図書館で本を返却し(文庫本3冊、読み終えました)、そのあとバスに乗って帰りました。
バスが来るのを待つ間、右腕に負担をかけないで、トランクを持って乗り降りするのをどうするか、イメージトレーニングしました。
ちゃんと、バスに乗れました。
席もあいていて座って帰って来られました。

 家に帰って、娘の顔を見たらホッとしました。
娘お得意のウーバーイーツや出前館を駆使して、この日の夜は、出前パーティとなりました。
フライドチキン、お寿司、たこ焼き。
初回割引きなるもので、とってもお得に調達できました。
夫の帰宅を待って、家族で美味しくいただきました。

 今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

2021.8.5



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