手術当日の朝
朝6時過ぎには、目が覚めました。前日、「眠剤出せますよ」と言われましたが、一度も目覚めずに朝を迎えました。ちょっと脇道にそれますが、看護師さんが懐中電灯を持って夜中に見回りをするのは、テレビドラマの世界だけなのね、と入院中、思っていたのですが、それは私が熟睡しすぎて気がつかなかっただけでした。一度だけ目が覚めて、見回りをする看護師さんを見ることができました。それくらい入院中は、早寝で良い睡眠がとれました。
話は戻りまして、今日は一日絶食です。少量の水分のみ11時までOKでしたので、朝起きてからチョビチョビ水を飲みました。洗面に行って鏡に映る自分の顔を見たら、唇は青くて、そして手は冷たくて、やはり緊張しているのだなとわかりました。何もすることがないので、本を読もうと思っても、韓ドラを見ようと思っても、テレビをつけても、なにかソワソワして手につかず、頭に入らずで、ただ、ベッドの上でゴロゴロしていました。
今はコロナ対応中で、家族が病室に入ることはできません。ただ、手術のときには、家族が病棟のエレベーターホールで待機することになっています。弟のことがあって、誰も来られないのではないか、と心配していましたが、昨晩遅く夫は家に帰って来ることができて、12時頃には病院に来てくれることになりました。
やることがなくボンヤリしていると、朝から看護師さんが、入れ替わり立ち替わり来てくれ、おしゃべりして、そして励ましてくれました。なかでも貫禄十分な、師長さんと思しき方が、大声でガハハハ笑いながら「大丈夫よーーーっ!!」バーンっと肩を叩いて去って行かれました。その姿は、まるで福の神のような神々しさでした。看護師さんたちのおかげで、私は、体の血の巡りが良くなって、リラックスできました。この間、検温や血圧の測定があったり、パルスオキシメーターの装着があったりしました。
そして、主治医も回診にみえて、腋の下をグリグリ触って、ウーン?と言って、帰って行きました。9時頃からは、点滴が始まりました。ものすごーい長い針で、もともと血管が細くて入りづらい私は、絶対無理…どこに刺すんだろ?と思って見ていました。ところが、若い看護師さんが一回でスパッと決めてくれました。思わず、私「すごーい!」と声が出てしまいました。すると看護師さんは、素敵な笑顔で冗談っぽく「ここの看護師は何でもやるんで、注射も上手なんですよ」と言いました。
昨日から、血圧を測ったり、点滴をするのは、手術する方と反対の左側の腕を使うようになりました。これからは左側を使うようにしなくてはならないようです。いつか受けるであろうコロナのワクチン接種の時、忘れないようにしたいです。
しばらくすると、手術室担当の看護師さんが来ました。とても感じの良い方でホッとしました。血栓予防のハイソックスを履いて、手術衣に着替えました。手術衣の下はパンツだけでした。白いハイソックスを履いたら、中世の貴族みたいな脚になりました。
看護師さんから、手術台に上がったら、手術衣とパンツを脱がせられ、下半身にタオルをかけられることや、手術の後は、ハイケア室で朝まで過ごすことなどの説明がありました。それを聞いて、エコバックに当座必要な物を詰めました。手術に必要なオムツとパット、ハイケア室で必要な箱ティッシュ、スマホ、貴重品ボックスの鍵、メガネとメガネケース、ペットボトルの水、ブリックパックのお茶、コップ、小さいタオルを入れました。
手術
12時半頃、病棟看護師さんに連れられて手術室へ出発しました。手術衣と白いハイソックスにスリッパ姿、左手で点滴のスタンドをコロコロと押しながら歩いていると、エレベーターホールに夫の姿が見えました。看護師さんが持ってくれていたエコバックから手術に必要な物を取り出し、エコバックは夫に預けました。
手術室のある1階下へエレベーターで降りました。手術室の扉がパーンと開きました。付き添ってくれた病棟看護師さんとは、ここで別れました。朝会った手術室担当の看護師さんともう一人の看護師さんが迎えてくれました。ここでスリッパを履き替えて、シャワーキャップのようなものを頭にかぶりました。そして、朝、レクチャーされた通り「荒川スズメ、手術部位は右胸です」とはっきり宣言しました。看護師さん二人と共に、もう一つ奥の扉へと進みました。なぜだか頭の中で弱々しいロッキーのテーマが鳴っていました。
奥の扉がスーッと開きました。目には手術室、耳には大音量の米津玄師の曲が飛び込んできました。
米津さん好きなこと、ここの誰かに言ったっけ…?
「〇〇大から来ました麻酔科医の▲▲です」と、ノリの良い若いお兄さん医師が、手術台の脇で、微笑みながら挨拶をしてくれました。私も、つられて元気良く「荒川です。本日は、よろしくお願いします」と挨拶をしました。なんだか楽しい気持ちになってしまうという…私…。
細めの台に上がって、仰向けに寝ました。麻酔科医の説明によると、点滴に眠くなる薬を入れたら、すぐ眠ってしまうこと、何も感じないうちに手術が行われ、終わったら、ちゃんと目が覚めるとのことでした。何も心配せずに、お任せしようと思いました。
看護師さんお二人の連携で、すばやく脱衣しタオルがかけられました。そして「薬、はいりまーす」の声がし「どうですかー?」の声が聞こえ、私は「ちょっと、苦いで」言い終わらないうちに真っ暗になりました。
今、思い起こせば、この時点まで主治医の姿がなかったです。裏でシャーッと手を洗っていたのかなぁ?
「今日は君に頼むよ」「えっ⁉僕まだ新人ですけど(汗)」こんな会話があったかも(*_*;
すみません、スズメの妄想です。(笑)
「荒川さん、荒川さーん」「終わりましたよ」と声が聞こえ、目の前が明るくなりました。私は「あっ、はい…さ、寒いです」と言いました。と、同時に手術台から脇の暖かいベッドへ移されました。ベッドに寝かされたまま移動しているのがわかりました。途中、夫の顔がチラッと見えました。そして、薄暗い大きな部屋に入り、ベッドが固定されました。
ハイケア室で
ハイケア室は、ナースステーションの隣にありました。4人が入れる部屋には私だけでした。エコバックから飲み物とコップと箱ティッシュを脇に置いてもらい、残りのものは部屋に戻してもらいました。片付けに行ってくださった看護師さんは、戻ってくると「携帯はボックスにしまっておきましたから」と言って、貴重品ボックスの鍵を左腕にかけてくれました。
口には酸素マスク、左腕には点滴と血圧計、左指にはパルスオキシメーター、胸には心電図、わき腹からはドレーンが2本、両足には自動マッサージ器、それから尿の管もついていました。色々なものに繋がれて身動きがとれなかったので、メガネをかけるのも携帯を操作するのも諦めました。
手術後は痛むのだろうなと心配していました。しかし、予想に反して痛みはなく、むしろ、胸のあたりがすっぽりと無くなったような感じでした。
ベッドのリクライニングができるリモコンを看護師さんが左手に握らせてくれました。「自由に楽な向きに調整してくださいね」と言ってくれました。ですが、この時スズメ57歳、薄暗いところで老眼鏡なしではリモコンの大きな文字さえ、何が書いてあるのかサッパリわかりません。怖いので操作はやめておきました。看護師さんは、ナースコールのボタンもすぐ押せるように左手の近くにぶら下げてくれました。
寝返りも打てず、足も動かせない長ーーーい夜が始まりました。定期的に血圧計がブーっと動く音と、プシュープシューと規則正しく動く足のマッサージ器の音を聞きながら、うつらうつらとしていました。
頻繁に看護師さんが様子を見に来てくれました。痛み止めもいつでも出せるから言ってくださいと言ってくれました。ですが、痛みは出ず、もらいませんでした。20時過ぎ頃からでしょうか、38度を超す熱が夜中まで出ました。手術後の患者には、よくあることらしく、心配はいらないとのことでした。
主治医は、ハイケア室に3度、様子を見に来てくれました。傷口を診て「大丈夫だね」と言うと、力いっぱい押し始めました。「痛い?」と聞くので、「大丈夫です。何も感じなくて不思議です」と答えると、主治医は「手術の時、神経もいっぱい切ってるから、そうかもね」と話しました。胸に溜まる液をドレーンの方へ流しているようでした。かなりギュウギュウ押しているみたいなのに、傷口が開かないのが不思議でした。
そっと右胸のあたりに手をやってみると、分厚いアイスノンのようなものが乗っていて冷やされていました。なんでもない時に、こんなものを乗せていたら、心臓マヒになりそう。胸の感覚がなくなっていて良かった、と思いました。
主治医は、深呼吸をしてみて、と言い、ちゃんと出来ることを確認したら、ホッとしているようでした。他にも、右腕は動かせるか?と言うので、私は寝たまま、上げたり下げたり回したりしてみせました。主治医は、ものすごく安堵しているように見えました。いつもクールな先生の、こんな表情を見ることが無かったので驚きました。もしや手術の時、腕を取り外して、リンパ節取って、終わったらカポッとはめたりするのかな?なんて、あれこれ想像してしまいました。主治医も痛みを我慢しないでと言ってくれましたが、この一夜、辛かったことと言えば、痛みよりも体が動かせなかったことと、尿の管がついていたことでした。
22時頃から、飲水OKがでました。酸素マスクは、わりとすぐに外れましたが、何しろ色々繋がっていて、使える左腕には点滴の長い針も刺さっているので、飲み物を取ったり置いたり、口に運ぶのがえらく大変でした。この時、ブリックパックのストロー付きの飲み物が役に立ちました。
長い長い夜、カーテン越しに見えるナースステーションの灯り、何を話しているかはわからないけれど、人の話し声や笑い声、勤務交代の人の気配を心地よく感じながら、いつしか寝られる間隔が長くなっていきました。
朝になりました。心電図、パルスオキシメーター、血圧計、マッサージ器が外されました。ベッドに腰掛けて朝ご飯を食べました。そのあと、尿の管と点滴も外され、ものすごく楽になりました。動けるって本当に幸せだと思いました。
病室へ戻る際に、看護師さんがドレーンパックを入れるポシェットを渡してくれました。地元の患者会の手作りの素敵なものでした。中に温かい励ましのメッセージカードが入っていました。心がぎゅーっと熱くなりました。今日からまた、がんばろうという気持ちが湧いてきました。病室に戻り、手術衣からレンタル病衣に着替えました。
おまけ
手術でとった胸の確認をしてくれるはずだった娘が、私の弟の手術の付き添いで、こちらへ来られなくなったため、夫一人でやらなくてはならなくなり…説明も聞いて、写真も撮って送ってくれました。なんかね、「おかあの胸だーって思って涙が出てきて、写真撮るのが困った」って言ってました。夫、苦手な血液と臓物を克服しました‼
最後までお読みいただきありがとうございました。
2021.8.2
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