ん?このタイトル、どこかで聞いた感じがする…
あっ、あれだ!「スズキのポアレ 春野菜とともに」みたいな( *´艸`)
誰が病人なんだか…ふ~ぅ
 11月25日に生検の結果が出て、癌だとはっきりした日、夫に「癌だった。来月、手術になったよ」と話しました。長年の付き合いで、夫の反応は、想像がつくので、たいしたことないよ~の気持ちを込めて、さら~っと軽く言ってみたのですが、夫の第一声は「あーーーーーー」と。頭を抱えて、うなだれてしまいました。今から、この驚きようでどうする⁈ 余命宣告でもされた日には、自暴自棄になって荒れまくるんじゃなかろうか? 
そもそも、病気になったのは私。
手術受けるのも私。
私も動揺しているのです。
今は自分の面倒を見るので精一杯。
あなたの心配まで、私、背負えません。
と、うなだれる夫の背に、私の心の声が言っていました。
 次に夫は、職場や義姉、親戚に連絡しなくてはと言いだしました。「待って、待って。癌になったことは、言わないでおきたいの。っていうか、何で言うの?どうしても言わなくちゃならない人にだけ、口外しないように頼んで、私から話すから」と、私は伝えました。夫は、それが理解できないようでしたが、とりあえず私のことなので、私の意向に合わせてもらいたいと頼みました。
 この調子では、12月3日の家族同席の受診に来てもらうのは難しいかなと思いつつ、その話を切り出してみると、何だかよくわからないけれど、生き渋る曖昧な言動の数々が聞こえてきました。私は、だんだんと面倒になり「どうしてもってわけじゃないから、大丈夫だよ」と、この話を一旦、切り上げました。
 そうは言っても、誰も出席できないと病院の方も困るだろうと考えて、娘に連絡をとってみました。すぐ日時を聞かれ、休みを取れるように調整するから少し待ってほしい、と言ってくれました。娘にも、病気のことはできるだけ知られないようにしたい旨を伝え協力をお願いしました。ほどなくして、娘から、術前説明の日と、入院日、手術日に休みが取れたこと、こちらへ戻って病院へ付き添うと返事がきました。後日、夫と娘の間で、何かやりとりがあったようで、夫が「術前説明の日、休みを取って一緒に行くから」と言ってきました。どうやら弱気な夫は、しっかり者の娘に、だいぶ叱られたようでした。
再診 2020.12.3 術前説明
〇この日の流れ
同意書等とコロナのPCR検体の提出→主治医から説明あれこれ
〇お会計
¥0 (PCR検査代は退院時に請求されていました)
同意書など提出した書類は4つ
①手術承諾書
②輸血同意書
③血漿分画製剤投与同意書
④抑制同意書
②③④ この3つの処置は、必ず行うということではなく、手術に伴って必要になった場合に処置されることがあるので、あらかじめ了承しておくものです。
主治医の話
 経過観察していた右胸について
 主治医は、過去5年分?10年分?の超音波検査やマンモグラフィ検査の画像を次々に見せながら、現在に至るまでの経過を振り返りました。
・以前から石灰化があり、今まで注意深く変化を診てきた。
・小葉といわれる部分に分泌液が溜まったり、血性や乳白色の分泌液が乳頭から出ることもあって、その都度、検査をして癌でないことを確認してきた。
・今回、しこりができて、組織を一部採って調べたところ、悪性だった。
以上のようなことを丁寧に説明してくださいました。
針生検の結果について
ホルモン 陽性
HER2 陰性
グレード 1
Ki67 10%
ルミナルAタイプ
ステージ 1 or 2A
  以上のことがわかりました。グレード1ということで、癌の顔つきは1~3の中で一番おとなしいものであることと、Ki67が10パーセントということで、増殖能力もそれほど高くはないということがわかり、内心、ホッとしました。リンパ節の転移について、あきらかな所見はないけれど、手術してみないとわからないと説明がありました。ホルモン陽性だった…主治医の予言は大当たりだった、と心のなかで笑ってしまいました。もう一声、「リンパ節転移は、ないね」の予言、いただきたく待っていましたが、その有難い予言を聞くことはできませんでした。
手術内容と入院生活について
・12月11日 13時に手術室に入室。13時半過ぎより手術開始。16時前後に終了予定。
・乳頭、乳輪含め、木の葉のような形に皮膚を切開し、そこから、外側の皮膚の下を電気メスで焼きながら胸の組織を切り離して、一つの塊として取りのぞく。リンパ節の一部と胸膜も切除する。
・最後に、開いた部分の皮膚をつなぎ合わせる。10から15センチの傷痕ができる。溶ける糸で縫うため、抜糸なし。
・胸側と腋の下側に1本ずつドレーンを入れる。ドレーンの先には、陰圧の袋が付いていて、術後にたまる浸出液を排出していく。
ドレーンは、おおよそ4,5日つける。袋にたまる液が1日あたり50ミリリットル以下になれば、ドレーンを抜去する。ドレーンが抜けたら、その日でも翌日でも退院できる。
おおよその入院期間は、7日前後を予定しておいてほしい。
 他にも、質問したりして細かい話もあるにはあるのですが、大体のところは、このような感じでした。
 コロナ禍の特別体制なので、見舞いの人が病室に入ることはできません。しかし、手術日には、病室のある階のエレベーターホールで家族の待機をお願いしたいとのことでした。「どなたがみえますか?」と主治医。夫と娘は、2人で待機しますと答えました。すると、主治医は「手術が終わったら、とったものを確認していただきます」と、夫にとって、それはそれは恐ろしい話を切りだしました。夫は、臓物とか血とかが全くダメです。すでに、私の隣でオブジェのように固まっていました。
とっさに、私「先生、私が見ることはできませんか?」と言ってみました。そうしたら、主治医は、びっくりして私をガン見して、一瞬、石になりました。そして「できないことはないけど、家族に写真を撮ってもらって、あとで見たら?」と。しばしの沈黙を破り、娘、あっぱれ「私が写真を撮って母にLINEします」と言ってくれました。一件落着です。
 その後は「入院の案内」「乳がん手術後のリハビリ体操」「手術を受けられる方へ」のパンフレットを見ながら、ひと通り説明を受けました。
・手術当日は、一日絶食。
・手術後は、酸素マスク、心電図、パルスオキシメーター、血圧計、尿の管、点滴、ドレーン、空気圧で足をマッサージする器具をつける。翌朝まで、ハイケア室で過ごす。
・翌朝までに、ドレーンを除いて、つながったものは外れるので、自分で歩いてトイレに行くことができる。
 諸々わかり、入院・手術のことがイメージできるようになり、安心しました。一方、いよいよ入院することが身近に感じられて、荷物どうしよう? 留守宅の準備、何しておけばいい?などを考えて、焦る気持ちも湧いてきました。
 今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
2021.7.24
 
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